「利他」
そんなの嘘っぽい、という人もいれば
そうあるべきだ、という人もいる利他。
今日は、人のために、つい頑張ってしまう女性にお送りします。
簡単にまとめると、「利他より先にすることがあるよ♡」です。
周りに合わせてしまう人、人からどう思われるか気になってしまう人、
そして私と同じく年齢を重ねた大人世代の方、
ぜひ最後までお付き合いくださいね。
汝の隣人を愛せよ
この言葉の意味をいま、どう感じましたか?
「汝の隣人を愛せよ」
有名な聖書の言葉ですね。
見かけるのは、たいてい、
他人を愛しなさいという「汝の隣人を愛せよ」の部分だけです。
自分のことは愛するのか、愛さないのか、なんてことは書いていませんが・・
あなたは、どう読みますか?
ちょっと考えてみて❤
①聖書:「汝の隣人を愛せよ~!」
あなた:「そっか-。やっぱり自分よりも自分の周りの人を優先して
だいじにしなくちゃいけないのね。」
ですか?
それとも、
②聖書:「汝の隣人を愛せよ~!」
あなた:「そっかー。いつも自分を愛し抜いてるみたいに、周りの人も大事にすればいいのね。」
さて。どちらでしたか??
①は間違いだなって感じる人が多そうですね。
じゃあ②が正解でしょうか。
きっと①じゃないなら②が正解!
(〇✕クイズをしたわけではないです^^)
と②を読むと・・
「自分を愛し抜いてるみたいに」のところで、
「いつも自分を愛してたっけ?」なんて、違和感を持ったかも、しれませんね。
③は、自分の方を大事にしちゃいけないんだな、自分を愛していい
説明が長くなりました(笑)
この「汝の隣人を愛せよ」の前には、大切なフレーズがあるんです。
何かというと、
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」なんです。
まず誰よりも、自分を愛して、いいんですよ。
堂々と自分を大切にしていいんです。
聖書に書いてあるんですから(笑)
今の今から、自分を可愛がっていいんですよ。
他人の愛し方はむずかしい?
さて。
今日はさらに、突っ込んでみたいと思います。
自分を愛するように他人を愛しなさい。
これって、
「自分を愛するのは簡単でしょ。だから同じように他人も愛せばいいんだよ。」
と、自分を愛していることが前提の書き方ですね。
これ以上自分ばかりを愛そうとせずに、他人に目を向けなさい!
って諭されているようです。
自分を愛しているのが当然なのだから、あえてそれを強調しなくてもいい。
(短い方が印象的ですし)
それで「隣人を愛せよ」が独り歩きしているのかもしれません。ですが・・はたして、知っているのでしょうか・・自分の愛し方を。
私たちは自分の愛し方を熟知しているのだろうか
私たちは「自分の愛し方」はよく知っているけど
「隣人の愛し方」はよく知らないと、思んでいることがわかりましたね。
(思い込まされている、と言ったほうが正しいかも)
それってほんとうでしょうか。
私たちは、本当に、自分を愛する方法を熟知しているって言えるのでしょうか。
利他という言葉は美しく響きますし、
利他で生きている人を見ると心を打たれ、
ついわが身を振り返ってしまうかもしれません。
周りの人を大切にしよう
世界の子供たちの為に何かしよう
誰かの役に立ちたい
それらの前には決して、
「自分をおろそかにしてもいいから」とか、
「自分より先に」とか
「自分よりもっと」なんてフレーズを付けてはいけません。
他人を愛するように、自分を愛せよ
ずっと家族を優先させてきた人も、会社で能力を発揮し続けてきた人も。
いざ一人の女性として自分を見つめると
どう愛したらいいか、わからない。
恋人から、モノを与えることが愛だ、モノを与えておけばいいだろう、って扱われていたら・・
だから、
「自分を愛するように他人を愛せよ」
ではなくて、
「他人を愛するように、自分を愛せよ」
なんだよって心に留めておいた方がいいと、私は思います!!
美しい自己犠牲をはらっている人たち、けっこういらっしゃいませんか。
(いえ、払わされていると言った方が正しいのかも。
誰にかって?・・社会的洗脳なのでしょう。)