生きることは、ある意味無駄なこと。

生きることは、ある意味無駄なこと。

私、

「効率重視」の社会で生きて来た歴史が長いです。


いかに効率良くするかを効率よく考えて効率よく成果を出さなければならない。


(でも会議は非効率だという怪現象)



効率よくやっていないと怒られる・・。



あの人仕事できないよね


そう言われるのは、たいてい効率の悪い人。


自分が言われていなくても、

「あいつ出来ないよなー。」

と誰かが言われるのを聞くたび

自分のことのように胸が痛い。



監視カメラで私の効率を誰かが監視している妄想に囚われる。


挙句の果てには、土日にも誰かが私の効率を監視している妄想を。


(一人暮らしですし、部屋には私以外に動くものは無いのですが)




丁寧なだけだし、なんて通用しないし

言えないし。



というわけで、



長い間、


「効率が悪い!!!!!自分」を

自分が責めていました。



自分が自分を批判する


今は自分の仕事を監視する人は自分しかいないのですが、

やっぱり「さっさとできない自分」を

批判する自分がいます。



仕事なんだから仕方ない。

効率がいい方がいいに決まってる。



とも言えます。



一方で


仕事っていうけれど、

それって今私が生きていることそのもの、

仕事の時間って、生きている時間じゃないの?



なんて屁理屈も言いたくなりませんか(笑)



ブログやメルマガやYouTubeの原稿に2時間かけるより、

15分で書けたほうが効率がいいでしょう。



ですが2時間、めっちゃ楽しかったらどう???

あー効率悪かった、なんて思わないよね。

書くのを楽しんだ。思考する時間を楽しんだ。

伝えたいことを何度も推敲しながらの2時間が楽しかった。

一生懸命やった、ふう、出来た!



無駄かもしれないけど、

かけがえのない無駄じゃないか。



ちょっと大げさだけど
15分で書けてもその15分がつまらない時間だった・・
より、
楽しみながら過ごした2時間の方が
愛おしい時間になる。


・・それが15分で出来たらいいのでしょうが・・
出来ない自分を決して責めないこと。
責めるなんて言ったら大げさかもしれないけど
「あーあ出来なかった」「遅いなー」「ダメじゃん」
これは責めてます。

「ほかのみんなはきっと・・」という比較も不要。



「生きる」って、無駄を楽しむこと


生きるって無駄なこと。

効率効率いうなら、生まれてすぐ死ぬのがいちばんです。


私の部屋はよく野鳥の鳴き声が聞こえます。

ボーっと聞いていますが

虫の音なども・・

こんなのに耳を傾けて、メロディを楽しむなんて。

なんて時間の無駄か(笑)


「古池や蛙飛びこむ水の音」

蛙さんが飛び込んだ音を聴いて

俳句をしたためるなんて・・時間の無駄(笑)


・・・



かなり端折りますが、(効率?)


無駄を、楽しみたい。


無駄なことをしていると発動する

「さっさとやらなくちゃ!」・・

さっさと症候群、お持ちの方は、いませんか?


捨てましょ。


「出来なかったことはもう、出来ないんで。」

「そんなにたくさんのこと、出来ないんです。」



もう、それでいいのでは。


そうすることで、


より濃い時間を


より充実した時間を


より自分らしい人生を


逆説的かもしれませんが


生きられる


のかもしれません。




出来る事を楽しむ時間。

その時間は生きている時間。

生きることはその時間の積み重ね。





今日も最後までお読みくださり、

ありがとうございました。


心からの愛と感謝を込めて、
Kayo