旅行先では、いつもとリズムが変わりますよね。
朝食のタイミング、場所の移動などで必然的に変わるものもあれば、
いつもより広いバスタブだったり、大きな鏡だったり、
自分を見つめる時間も長くなります。
湯上がり、“そのままの自分"で過ごす時間
その日も、湯上りの身体のまま、しばらく過ごしていました。
「その日も、」というのは、
私は自宅でも、お風呂から上がったあと、
バスローブを羽織ることがほとんどだけど、
しばらく何も着ずにいたりすることも多いから。
アウトドアのプールで泳いだあと、
思ったより冷えたカラダを温めようと、バスタブにお湯をはって。
熱めのお湯の中で、
肌の表面ではなく、
ずっと奥から緩んで、じんわりと広がっていくカラダを感じてみました。
また、30分ほどジムでウォーキングをした時も。
他に誰もいなかったので、脚を動かすたびに使われるお尻の筋肉を触ってみたり、
自分のカラダを感じてみました。
扱いなれたはずの「自分のカラダ」なのに、
どこか、新しい手触りがあったんです。
「変わった」のではなく、「気づいた」だけかもしれない
新しい手触り──
それは、変わったのではなくて、
きっと、私がその手触りに気づいただけ。
ゆっくりカラダを感じることを、
おざなりにしてきただけだったのかもしれない。
そう思ったんです。
話は戻って──
お風呂上りに、
持参したいつものローズの香りのするオイルではなく、
免税店で買ったシャネルのボディオイルを使ってみました。
使ったことのない香りです。
前日と同じように足の裏から塗り始め、
何か違うか確認していきました。
仕上がったとき。
何かが違っているのを感じたんです。
うるおい?手触り?もちろんそれも違う。
でも、それだけじゃなくて──
カラダはずっとここにいた
「いつもの」じゃないだけで、
何かを感じ取ろうとする力が一層働くようになるみたい。
ルーティンからは気づけない、カラダの変化。
この変化はやはり、
「変わった」のではなくて、
私が気付こうとしなかっただけだったのかもしれません。
カラダはずっとここにいて、
何かを伝えようとしてくれていたのかもしれません。
そして、
カラダの変化を感じ取ることで訪れる、
意識の変化までじっくり味わいながら──
お風呂上りそのままで、外を眺めながらお茶を飲んだり、
鏡を見たりして過ごしました。
特別なことはしていないけれど、
“確かに何かが動き出している"──そんな気がしています。